金色ではなく、銅色

 

こんにちは、杉下です。

 

11月も近いというのに夏日を記録したり、一日の寒暖の差が大きかったりと体調管理の難しさを感じる日々ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

さて本日は、私が最近読んでハッとした記事についてお話させていただこうと思います。

 

私は将棋を観るのが好きで(いわゆる”観る将”というものです)
観戦はもちろん、棋士の先生方のインタビュー記事などもよく読んでいます。


そんな中で先日、A級棋士の永瀬拓矢九段が、自身がASD(自閉症スペクトラム症)であることを公表しました。

 

1日10時間以上を将棋に費やし、大晦日も元日も将棋の研究会。そのストイックさゆえ”軍曹”の異名を持つ永瀬九段。

 

永瀬九段は過去のインタビュー記事において、次のようなことを語っておられました。

 

「学校というのは自分にとって大変な場所でしたし、

算数の問題を解けて面白いと思ったことは一度もないです。

いろいろなことが……大変だったんです。」

 

問題が解ける(解けるようになる)ことが必ずしも楽しさにつながるわけではなく、苦しさは在り続ける…

当事者の言葉の重みにハッとさせられたのでした。

 

永瀬九段は続けます。

 

「社会が1割でなく9割を優先することは当たり前で、

自分は1割だったのでとてもつらかった。

だから、子供たちには、1割に入ったとしても

頑張れば何かにつながるということを信じてもらいたいんです。」

 

「できない子は頑張っていないからできないんじゃなくて、

できないからできないんです。

できる人から『なぜ君はできないのか』と言われるのはつらいことなんだと、

大人たちにも分かってほしい。

一生懸命を否定してほしくない。」

 

自身が抱える苦しさを言語化して伝えることは

(特に子供たちにとっては)容易ではありません。

教える立場の人間は、保護者の方のお話や各種検査の結果、学校の成績などからその子の課題を推測し、解決に寄り添っていきます。

 

しかし、困難を抱えてこられた当事者の生の声を目の当たりにすると、

教育において最優先に向き合うべきは、テストの点数や専門書にある知識だけではなく"その子自身"であること、ああでもない、こうでもないと奔走する中で、子供自身の視点に立って考えることが抜け落ちてしまわないよう、対人(対子供)の大切さを痛感します。

 

さいごに、永瀬九段の語る言葉の中で、特に印象深いものを。

 

 

「将棋界には金色の旗を掲げる一握りの人がいる。

自分は違う色……銅色とかなんですかね……の旗を掲げたい。」

 

それでは。