できること、できないことを分けることは発達障害向けの教育、子どもの教育、ひいては日々の生活においても大切なことだと思います。
発達に凸凹がある、ということは強みはもちろんのこと、弱みもあります。
主に弱みを補おうとしますが、なかなか上手くいくことは難しいです。もちろん、それを目指して努力することは大切です。
しかし、基本的には弱みというのはあくまで弱みであり、能力としてできないことを無理にできるようにすることはとてもストレスになります。
まず、低い前提でハードルを低く設定することが重要です。
子ども達にもよく言っていますが、できないことはいいから、できることに注力しなさい、と言っています。
子ども達が苦しんでいるのはできる、という期待だと思います。できることを広げようとする社会、周囲の期待だと思います。教育の現場での問題の根幹はここにあると感じます。
一人ひとりに可能性があるのはそれはそうなのですが、それは人間、ほんの一部分でのことに過ぎません。
むしろ、できること、できないことを分ければできないことの方が人間は多いのかもしれません。
最近、よく子ども達によく言っていますが、「お手伝いしてる?」と聞いています。
している子、していない子いますが、学業よりも大切なことだと思っています。
学業は振るわないかもしれない、だけど、家のお手伝いはしているだろうか、朝は一人で起きれるだろうか、一人で掃除はできるだろうか、コンロの火をつけてカップラーメンくらいは自分で作れるだろうか、買い物はできるだろうか、一人で電車やバスに乗って目的地に行けるだろうか。
こういったことは発達の凸凹に関わらず、一定の知的水準と身体機能があれば「できること」だと思っています。私が伝えたいできることとは、こういう部分のことです。簡単に言えば自活できる力です。
誰しもいつか親なき後に自立して生きていかなければいけません。社会で人と関わり生きていかなければいけません。
そのためにできることを今、頑張ってほしいのです。学校の学業ができないから、何もしない、ということにはならないと思います。
「障害児教育は教育の原点である」と学生時代よく聞きました。
実際に現場に出て、障害が重い子の教育をすると、本当に当たり前のことを当たり前にする、ということを徹底的に教えることの重要さを痛感しました。方程式が解けるとか、そういう次元の話ではありません。
日常生活は忙しく、情報も多い現代社会は何が大切なのか見えにくくします。
でも、できること(できないと生きていけないこと)は案外少ないのかもしれません。
であるのならば、そこに時間を注いで生きていく力を身につけた方が良い、そう思います。
また、肌感覚ではありますが、このようなことができる子は成績の伸びも良く、塾を卒業後も適応が良いように感じます。
根っこではつながっているのではないかと。
少し塾としての学業の側面とは違う文面にはなりましたが、大切なことかな、と思って自分自身も改める意味で書かせていただきました。
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