遊ぶ時間は足りているか。

授業をやっていると、少し遊びの時間が足りなかったな、と感じることがある。

1時間ずっと座って学習をするのはなかなか子どもにとっては大変なことである。

また、集中が続きにくい子であればもっとである。

ただ、そういう表層的な部分だけでなく、本質的に遊びが足りない、つまり、指導者と子どもとのやりとり、コミュニケーションが足りていない、と感じることがある。

どんな活動を行うにもそこには相互のコミュニケーション、関係性が必要なのである。

学習に向かう構えとは、その先にあるものなのである。

子どもは遊ぶことが好きである。なぜか、人間は遊びによって発達を促していくからである。

遊びは身体の発達だけでなく、友達と遊ぶことで社会性の向上にもつながる。遊びがなければ成長しないのである。

 

歴史学者のホイジンガは、人間を、遊ぶ人(ホモ・ルーデンス)と呼んだ。

遊びが文化の源泉であり、遊びがなければ何も発生しないということになる。

それだけ遊びは大切なのである。

 

子どもには十分に遊ぶ時間が必要なのだ。

では、ゲームはどうか。

私はゲームには消極的な意見ではある(そうは言っても、子どもの時はたくさん遊んだ)。やはり自分の中の世界に籠るのではなく、外界へのコミットがあることで初めてその遊びが意味のあるものになると感じられる。

児童精神科医の佐々木正美先生は、子どもは子どもから学ぶ、ということを著作の中で論じられていた。

他者の存在が意味があるのだ。

 

遊びは目的があっては遊びとして成立しない、勝ち負けがあってもそこには生産性や効率性がない自由な空間がなければいけない。

何より楽しくないと意味がない。

 

子どもの時、友達の家でマリオカートをした時のことはよく覚えている。とにかく楽しかった。

それはゲームであっても他者とのつながりがあったからであると思う。

 

そしてそれは知らず知らずの間に社会性の根本を育てる活動だったと思う。

結果として、友達を作ったり、コミュニティに入ったりすることができるようになるのかもしれない。

 

学習も一緒で、まず根本の人間関係を構築するところ、先生との関係性、生徒同士の関係性、そういった部分がしっかりと土台としてあるところに、じゃあ学習という活動をしてみよう、と思うのではないだろうか。

 

塾で、たまにイベントを行い、学習とは関係ない活動を行うのは、このようなことを標榜してのことである。

そして私がいずれやりたいのは、スタッフ達との懇親会?研修という名の遊び?を企画すること笑

 

学習時間の確保も大事、それはもちろん、だが、遊ぶ時間もちゃんと確保されているか、ということも重要な視点なのです。

と、全然遊べていない塾長が考えたのでした。