脳科学者の茂木健一郎さんの記事があった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/67503f80917753f9bf33c0b2696f68e53ddb99ca
私が共感したのは、「評価関数がすでに定まったものの中で最適化することは天才とは言わない」というところであった。
確かに天才的な人というのは、既成概念に捉われないと思う。
発達障害の人は脳の特性が一般的な人とは違う。だがその一方で、歴史的な業績を残すことも少なくない。
ただ、実際自分がそういった子と対峙する中で、既成にある学校の学習指導要領の内容をいかにわかりやすく教えればいいのかに苦慮しているのはある意味、何かおかしいような気もしている。
また、この考えをもっと深めると、社会の中で評価・価値があるというのは、この茂木さんが言っている「評価関数が定まっているもの」ということなのである。またその基準を元に人間を見ているのがほとんどであるということである。
これは子どもの学習においてはテストである。また通知表の5段階評価である。
また、これによって、進路が決まっていき、将来的な経済力も伴うのが現実である。そして、どこに就職したのか、仕事は何なのか、年収はいくらかなのか、役職は何なのか、ということが決まっていく。
しかしながら、本当にこの評価関数が定まっているものが、人間の生き方、その人の人生にどれだけの影響を与えるのか、ということである。
確かにお金がないと生きていけない、学歴は武器になる。
ただ、社会の中で本当に必要な力はそういったものだろうか。この観点は、あくまで人間を機能的に見ているだけではないだろうか。
学歴や学校での成績がその人の人となり・道徳性・倫理性などに影響するということは私たちは経験的に合理的ではないと気付いているはずである。
そういった評価で見てしまう人自身も実は今までの人生の中で、学業の結果、職場での地位などで評価されてきて実は自分自身を縛り、苦しんできたのかもしれない。
単純に人間にとって本当に大切なことは、孔子の教えで言えば「仁」人を思いやる心、に行き着くのではないかと思える。
結局のところ、いくら機能的に高いとしても、思いやる心がなければ社会の中で生きていくことができない。
そういった部分への視点が今の教育には足りない気がする。そうでなければ、教育が社会問題化することはないだろう。
私も一教育者として、この部分に常に立ち戻りながら指導をしたいと思う。
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