大学院時代、東京大学名誉教授の梅津八三先生の盲聾障害児への指導のビデオを見て、大変な感動を覚えた。
戦後、山梨県の小学校での盲、聾、重複障害の子どもへどのように言語を教えていくかの映像だった。
白黒であったが、その理論的、体系的な指導の在り方と子どもの変化の映像に教育という枠には留まらない感動を覚えた。
また、梅津八三先生の本などを読むと、その文章には、専門書というよりも古典文学を読むような含蓄のある日本語を感じるものであった。
そんな梅津八三先生の言葉に「相互障害状況」というものがある。
相互障害状況というのは、障害そのものが障害ではなく、人間同士の係わり合いにおいて、お互いのコミュニケーションが成り立たない状況が障害を生み出している、という考えである。※この観点の議論の場合「係わり合い」と表記される。
私たちは発達障害やハンデのある子と接する時、その子どもの特性や障害に着目する。その障害があるがゆえに、こちらとのコミュニケーションが成り立たないと感じる。だがしかし、それはこちらからの一方的な認識でしかない。相手側からすれば相手のコミュニケーションの発信方法が違う、という認識となる。
学生時代からの子ども達との係わり合いの中で、相互障害状況であることに気づき、自分の発信方法を変えることで自ずと相手の発信方法も変わることが経験としてあった。「相互障害状況」から「相互輔生」に変化したのである。※相互輔生も梅津先生の言葉である。
具体的な例で言えば、字を書けない子が書くことをやめ、パソコンにしただけで、その子の発信方法が変わり、こちらも適切に受信ができる。字が書けないことが本当の意味での障害ではないのである。
教師に反抗的な態度をとる生徒、また無気力な生徒であったとしてもこの原則は変わらない。
また、この相互障害状況は何も子どもとの教育的係わり合いに限ったことではない、友達、夫婦、あらゆる人間関係の中で、このコミュニケーションの上手くいかなさを感じるのが私たちである。この観点でいけば、相手と自分の価値観や考え方が違う、相手が違うから、成り立たないのではなく、その関係性の中にこそ糸口があるではと考えられる。
教育、子どもといった世界だけでないところにまで、視野を広げることができる知識こそが本当の意味での力になる知識ではないだろうかと、大学院時代に感じた自分の思いを振り返って思うのでした。
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