曹洞宗・永平寺からの気づき

曹洞宗・永平寺をご存じでしょうか。

曹洞宗の若いお坊さんが修業をするお寺です。

 

横浜には総持寺と言って同じようなお寺があります。

 

Youtubeにも動画がありますが、それはそれは厳しい生活をするお寺です。

日常生活に馴染んでしまった私たちからすれば本当に異世界。また動画では伝わらない、本当に厳しい世界がそこにはあるのだと思います。

そんな、日常、俗世の中に溶け込んでいる人間がそれを色々と言うのはおこがましい限りなのですが、生活全般、子どもの教育にもつながるものがあるのだな、と思うのです。

 

永平寺では、朝4時頃に起き、そこから読経、作法を伴った食事、作務など、様々なものがスケジュールされているようです。

そんな中、次第にお坊さんとしての所作などが身についてくるとのことでした。

 

単純に規律ある生活をすれば身も心も整ってくる、ということかもしれませんが、やはり私たちの日常も学ぶべきものがあると感じます。

 

自閉症の支援方法と言えば、構造化と呼ばれるものがあります。これは時間的なスケジュールはもちろんのこと、物理的なものまで、何がいつ、どこにあるのか、行われるのか、それを明確化していくものでもあります。これは自閉症の特性を踏まえると合理的な支援方法であり、彼らの生活自体をエンパワメントするものでもあります。

 

発達障害、また特性のある子に限らず、抽象的な事象は理解が難しいものです。まずは具体的なものから入っていき、それが結果として抽象的な全体像につながっていきます。

 

よって、日々の生活の中に抽象的なもの、自由なものというものは特性のある子にとっては実はやりづらい、ということがあります。当然、主体性は持たせなければなりません。

 

つまり、より日常のスケジュールや物理的な環境を細かく設定し、活動を行っていくことが実は一番の支援であったりもするわけです。

当然、家庭というのはゆったりする場所でもあり、各家庭に状況、条件は様々です。予想できないことが日々あるのが日常でもあります。

 

ですが、私は生活即療育、と思っています。

 

生活のスケジュールをしっかりとしていくことで、本人の心理的な余裕、見通し、規則正しい行動が形成されていきます。

また、箸の使い方、服の着方、脱ぎ方、日常の動作・所作全てにおいて、実は作業療法的な要素はあり、それ自体をよくよく観察し、子どもに意識化させることだけでも立派な療育になるわけです。

 

特別な学習は必要なく、実は日常の中に存分に学ぶ要素は隠れているのです。

なかなか日常に追われているとそうもならないのですが、実はそこ、が大事なのだと自分の生活自体を見直して思うのでした。

 

とりあえず、私は早く寝て、早起きすることを心がけます。