電車に乗る授業をしました。
何で?という感じかもしれませんが、当塾には特別支援学級の子も在籍していて、そういった生徒さん達にはお金・時間・交通機関の乗り方など、生活ベースの学習を課題にしています。
西永福まで一緒に行き、駅に入ったら私は一言もしゃべらない、というルールで行いました。あとは〇〇君の後についていきます、と話し、少し距離をとって見守りました。
事前に教室でプリントで学習をしていましたが、実際に自力で西永福駅から浜田山駅まで行く、となると、結構心配そうに慎重
に進めている生徒でした。私は終始無言。頼れるのは生徒本人だけ。
まずは、Suicaにお金をチャージして、改札を通る。
その後、吉祥寺行き、渋谷行き、どちらかの電車に乗る、というのが一番の難所。
どうかな~と見ていましたが、計算通りというか、渋谷行きに乗ることに。内心、間違えを指摘しようかとも思いましたが、これを待っていたんだ、絶好の学びの機会だ、と思い、ぐっと我慢して一言も話しませんでした。
このまま渋谷までいっちゃうのか!?とやや不安にもなりながら様子を見ていると、永福町に着いたところで
「先生、僕、間違えました。」と自己申告。
「お!!よく気づいたじゃん!!」とやっとこちらも言葉を発することができ、間違いに気づいたことを褒めました。
その後は無事に浜田山まで行き、西永福に戻りました。
間違えたことではなく、間違えに気づいたこと、これが今日の学びでした。本当に価値があると思います。
学校教育の場でも学校の外に出ての学びはあると思います。ただ、学校の外だからこそ、リスクもありますし、上手くことを運ぶように大人側が計らっている部分が少なからずあるのは否めません。それは当然です。限られた時数の中で内容を消化しないといけないですし、できる限り効率よく、安全に進めることが必要です。しかし、人間相手なのだから必ずしも目標通りにならないものです。
例えば、自分が小学生の時、修学旅行の前日に、名札を忘れたら、クラス皆、修学旅行には行けません、ということを先生が話していました。多くの子は持ってくるのですが、当然、忘れてくる子が何人かいるわけです。
しかし、さすがに救済措置で連れていきます。
やや極端ですが、ここは本当にそのクラスは行かずに、学校で自習、そのくらいのことをすれば、忘れた子はかなり反省すると思います。むしろクラスの結束力も高まるような気もします。もちろん、これは極端な話ですから、現実的ではありません。その日に行かなければ、いつ行くんだ、という話になります。
ですが、必ずしも上手くいくとは限らない、という経験が必要だと感じます。現代の子ども達はなおさらです。
つまり、子どもには失敗をちゃんと失敗と受け止める時間・空間が必要なのです。
だからこそ、今回のように、時間はとりましたが、電車の乗り方をしっかりと学べたことは大変価値のあることだと私自身も感じるのでした。また、塾だからこそ成せることだなとも思いました。
こういう学びを広げていくことができる塾にしたいと思っています。
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