先週末が修了式、もしくは今日、という学校も多いのではないでしょうか。
とりあえず、1年間お疲れ様、といったところでしょうか。一旦リセットされる、というのは人間関係の中ではある意味、救いにもなる部分がある気がします。
これからは宿題も渡されない、自由な春休みとなります。暖かくもなり、心身ともに影響もあるでしょう。
さて、そんな中、学校に行っていない子ども達はどんな気持ちでいるでしょうか。
新学年になれば、クラス、担任も変わる、ということは自分に合った環境があるかもしれない、タイミング的には今行く方がいいかもしれない…何か行ける気がする…と期待もあることでしょう。ただ、先がわからない、不明な点が多いという状況は人間の気持ちを不安定にするものです。
期待の裏側には当然不安があります。もし、嫌な環境だったらどうしよう、どこの教室、どこの席か、学校に行っていない分、学習についていけるのか、人間関係の中になじめるのか、もし、また学校に行くことができなくなったら…何で行かなかったんだろう…焦り、不安、心配、緊張、恐れ、自己嫌悪、これまでの後悔も出てくるかもしれません。
子どもそうでしょうが、親の心も同じだと思います。どんな先生だろう…友達関係は大丈夫だろうか…うまくなじめるだろうか…学校に行けるのならば行ってほしい…
この時期に不登校の子ども達に大人ができることはあるのでしょうか。
視点を変えることがまず大切かと。
上述した言葉の全ては学校に行く、行かないという中の心の揺らぎです。学校というのは学齢期の子どもにとって重要なこと、これは紛れもない事実。お父さん、お母さんにとって子どもが、元気に学校に行ってくれることに勝る幸せはないことでしょう。
ただ、学校に行く、という前提の考え、気持ちが少なからず子どもにはプレッシャーに感じることもあると思います。もし、仮に学校に行けないことになれば、それは周囲の大人の期待を裏切ることになり、本人にとってそれは失敗体験にも受け取られるからです(学校に行けなかった、自分はダメなんだ、となってしまいます)。
学校に行く、行かないの手前で子ども達は心の中で何とも言えない気持ちを抱えており、まず、その気持ちを認める、そこが大切なのではないでしょうか。
そもそも、長く学校に行っていない子が久しぶりに学校に行けば体力・精神力共にかなりエネルギーを使うことになります。学校の勉強も難しく感じることが多いでしょう。仮に学校に行けたとしても、最初から100%で行けるとも限らないことは大人が想像しなくてはいけないことと思います。
学校に行かない=✖でなく、学校に行かない=〇 学校に行く=〇
そんな気持ちの寛容性が必要な気がします。
むしろ、社会全体の考え方を変えていくことが必要だと思います。
年度が替わる何もない空白のようなこの時期に考えることでした。
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