最近、人前で色々とやらないといけないことがあり、緊張をする場面が何度かあった(別にヤバいことではありません)。
ふと思った。なぜ、人は緊張をするのか。そして緊張と取り除くよい方法はないものだろうかと。
生徒の中にも苦手な勉強となると、とたんに緊張してしまう子も少なくない。
学術的な議論は大体のところで何となくの私見をまとめるとこんな感じかなと。
緊張をする場面というのは他者からの評価が伴う場面である。
家で一人でいる時に緊張する人がいるだろうか。おそらく一番?リラックスしているのではないか?
そう考えると、なぜ緊張をしてしまうのか、というと評価が気になるからである。
この時、評価は良いものは予期されない。悪いものであることを心配するものである。
では、なぜ悪い評価を心配するのか、評価によって自分自身が規定されるのが心配なのである。
人は誰しも承認欲求がある。認める、認めないという2者選択から言えば、悪いは「認めない」ということである。人が「認めない」=「認められない」ということは、生き物としても社会な存在としても不利な状況である。このような状況に対し、脳は反応し、ホルモンが分泌され筋肉にも緊張が入り、表情がこわばったり、発汗が生じる。
つまり、体と心が危機的な状況を避けようとしているのである。
では、緊張しないことは可能であろうか。それはなかなか難しい。様々な緊張をコントロールする方法があるが、おまじないのようにその場でパッと平常心を保てるのなら苦労はしない(実際は認知の変容方法や筋緊張をほぐし心も落ち着かせる方法等、効果的な方法はありますが、ここではあまり触れません)。
ただ、今考えると、普段は緊張するであろう場面において緊張をしなかった時がある。その時の状況について考えてみたい。
経験の有無も影響するが、その時の状態について一言で言えることがある、「頑張らなかった」。
こう言うと語弊があるが、頑張らないということは、非常にフラットな状態である。
何を頑張らないのか、そのやるべき作業や活動ではない、よい結果を得ようとする気持ちと戦うこと、何とか平常心を保とうとすることを頑張らないのである。結果としてスッと自分の中に軸が入ったような感じで自然な行動ができる。
むしろこれは心理学的なテクニックよりも、生き方、日ごろのその人の哲学に左右されるものであると思われる。私の周りでもどんなことがあろうとも、のびのびとに自分自身を表現できる人は緊張しているようにはあまり見えない(本人の内面は違うかもしれないが)。
自分の人生は人のものではない。のびのびと生きる、それに尽きるのではないだろうか。
コメントをお書きください